このごろ日記

チューリップこんな街中(まちなか)に・・・の巻き

2008年4月20日(日)

2008年4月19日(土)

このチューリップは信濃町駅(新宿区)の近くに咲いてました。
どちらかと言うとこんな街中(まちなか)に?って驚きました。
ところで、子供達に大人気のチューリップの花。
子供達が描いたチューリップの絵をよくもらうけど
子供達の絵も本物に負けないくらい可愛いよね。

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お金がないってやっぱ不便ではあるな・・・・の巻き

2008年4月14日(月)

2008年4月13日(日)

前回、自分の古い雑記ノートで喫茶店のコーヒーの話しを書いたが
(新宿の喫茶店コーヒー代が高くて飲まなかったことね)
みなさんから沢山メールとかいただきました。
えへへ、励まし的な、おさむさん可哀想だった的な・・・。
あの〜・・それ(メール)嬉しかったんですけどぉ〜・・・あれは貧乏ネタじゃなくって、
ただのおバカ青春の一日スケッチですから。ガハハ。

しかし、そうは言ってもだねぇ・・・・その後しばらくしてのことだった。
アマチュアフォークコンテストがあったんだよね。
(今で言う、公開オーディションだね・・。当時結構盛んだった。)
新宿伊勢丹の屋上だったと思う。あれ三越か。どっちだったかな。
ま、いっか。たしかデパート主催だったと思う。
東京で初めてそういうコンテストにソロで出た時のお話しさ。
出番前に用心にギターの弦を新しいのに替えました。
残念だけど1弦2弦のみね。とある事情で。(笑)
前日に1弦と2弦しか買ってなかったのよ。
(お金がないからセットじゃなく、バラで弦を買ってた。ギターの弦は6本だね。うふふ)
そしたら、なんと演奏中(曲の真ん中あたりだったからもう中断できない)に3弦が切れた・・。
ドヒャ〜〜〜。マジありえねぇ。
ギターを弾く人ならおわかりかと思うが、3弦が切れたギターは
かなり厳しい。(どの弦でも演奏中に切れたら嫌だけど3弦は特に嫌だね。ま、チューニングさえなんとかなってたら弦を切っても演奏はいちおうラストまで続行できるけど。しかしまあ、普通、フォークの3弦はめったには切れんのよ。)
演奏中に弦を切るなんて光景は、今時のコンサートではめったに見ないけれど
当時はよくありました。でも切れるのはだいたいが1弦か2弦ですけどね。
当時替えのギターを用意して舞台に持ってきてるやつなんてプロ以外
ありえね時代だったしな。
(憧れだったなぁ。1〜2曲やってはギターを次々取り替えてく手法。)

ま、そんなわけで、弦を切っても演奏することに慣れてた僕は、3弦を切っても平気な顔をして演奏を続行し歌い通した事を審査員は誉めてくれました。そう言えばその時ゲスト審査員の中には小室等さんがいたと思う。
(確かおかあさんといっしょの月歌作品あったよね〜。ご縁だニャ〜)
でもその時ね、弦を切って歌いながら、もし3弦まで買っておいたら(買えてたら)
もっと余裕を持って歌えたのに・・・お金がないってやっぱり不便な事なのだなぁ・・と思ったのでした。(笑)
だけどね、お金がないならないなりに、もし弦を切ったときは、コードの独自フォーメーションでギターを弾く方法を発見できたんだし、と、プラスにも考えるんだよね。

あ、コンテストの結果ですか?
やっぱり入賞はできませんでした。
でもそのコンテストではいろんな人と知り合いになりました。
その何人かと組んで坂田君、いよいよプロバンドデビューしていくのでした。
続く・・・な〜んてな。
あ〜なんか〜青春物語してるじゃねえか。(笑)
ではまた。

写真:
この弦が今愛用のダダーリオの弦です。
いまは2〜30個まとめ買いだぜ!ガハハ。
当時買えなかったもんだから、買うわ買うわ。リベンジだああ。
セコっ!(笑)

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古いノート・・・・の巻き

2008年4月11日(金)

2008年4月10日(木)

本棚の整理していたら、奥から古いノートが出てきたよ。
北海道から上京して1ヶ月くらいの頃のことがいっぱい書いてあるんだ。坂田君18才。
都会に圧倒されながらも、なんとかやっていこうという懸命な姿。
読んでてあきれた。(笑)自意識過剰も凄いしな。(笑)

例えば、初めて新宿の喫茶店に一人で入るまでの心の動きがずるずる書いてあるんだよ〜。(笑)
持っていたお金があまりなくて、帰りの電車賃のこともあるし、お店の中に入る前に、コーヒー一杯の値段がいくらか知りたくて・・・。
そんなもん入ってからテーブルについてメニュー表でも見りゃ良いじゃないかと思うでしょうが・・・それが、一度入ってすぐ出たら(もし値段が高くて頼まずにすぐ出るのは)悪いんじゃないか、恥ずかしいんじゃないか、って思ってるらしいのよ・・・。
坂田君、なんとか店の外の窓越しからテーブルのメニュー表(値段)を見ようと、
店の側を行ったり来たりするんだね。(その方がよっぽど怪しいって)
とうとう窓からはメニュー表は読めず、値段判らず、店の看板に書いてある電話番号をメモして、近くの公衆電話からお店に電話するんだね。「すみせん、コーヒーはおいくらですか?」(あんた馬鹿かね電話代10円かかるだろうに・・・。それか、入る前に店の入り口で聞けよ!)
値段はたしか、120円だったかな。(時代だねぇ)
それを聞いて、やっぱ自分には高いとあきらめてその日はアパートに帰ったという一日。
(やっぱこの人少し変かも・・・笑)
最後に〜、「いつか値段気にせず喫茶店でコーヒー飲みたいな。無理かな。帰ったら飲めるからいいか」って書いてあった。
・・・・さすがに今は値段とかあまり気にすることなくコーヒーたのんでるけど・・・。
でもあの頃、頑張って買った粉のインスタントコーヒーをアパートで飲んだ味の方が何故か美味しかった気もするな。(ほろ苦い青春の味かもな)

そんな過去のあるおさちゃんでした・・・。
奇しくもそれは4月10日だったの・・・。おお。

ではまた。

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これってアニキ?の巻

2008年4月8日(火)

2008年4月7日(月)

渋谷桜ケ丘をあるいてましたら、桜満開のとなりにちょうちんがぁ。
ほほーと眺めていたら知った名が。

アニメソングの帝王、水木一郎アニキじゃありませんかぁ。
おかあさんといっしょ歌のお兄さんの大先輩でもあられるのですぞ。
しかも、昔、僕が深夜放送をしてる頃、ラジオでもお世話にもなりました。

アニキのちょうちんなのだぁ。

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自分の投稿文を収めてみました〜・・・・の巻き

2008年4月5日(土)

2008年4月4日(金)

以下の文は出身中学の同級生がやってくれている
ホームページに僕が年末掲載した文です。
(勝手に転載していかんかなぁ・・。ま、自分の文だしぃ。許してちょ〜。)
けっこうまじめな事書いておるなぁ(笑)。
たまにはこんなネタいかがでしょ?!

「良いお年をお迎え下さい 」坂田栄一
– 2007/12/27 09:57 –
年の瀬も迫ってまいりました。

今年は、仲間の何人かと仕事のご縁で会えました。
お世話になりました。
みんなあの頃のままの真摯な姿でした!

もの凄く嬉しかったです。
ありがとうございました。

しあわせな事に僕たちは、ちょっぴり残ってた戦後のまずしさも知っています。
高度経済成長の大きなうねりも経験しました。
そして今のインターネットの世界にも生きてます。
それにしてもこの頃の、この国の行方・迷い方は尋常ではないと思うのです。
僕たちは確かにもうすぐ仕事とかいろんなことに現役リタイアの時期にさしかかっているのかもしれませんね。
でもそれは体の衰えとか、心の衰えをさしているのではないと思うのです。
本当にそろそろちゃんと若い人へ何かを伝えなければいけない
「時期」がきたのだと思うのです。
正しかった事、間違っていた事、僕らは見てきました。
浮かれた事も、沈んだ事も見てきました。
僕らより上の方はそれをもっと沢山経験されたけれど
残念ながらそれを伝える体力・気力が減ってきているのかもしれません。

僕らの世代は、どうでしょう。
毎日の雑事にたしかに追われてはいますが、振り返る時間が確かに去年よりは多いと思いませんか?
想い出が増えたと思いませんか?
自分の物だけにしてはもったいないと思いませんか?

この頃、当時の事をよく思い出すんです。
悩みや苦しみが自分一人だけのものだと思っていたのが、
グラウンドで遊んでいるみんなに等しく感じるものなのだと知った事。

あの頃、学校のグラウンドからは大雪山が鮮やかに見えていましたね・・・・。

長文ですみませんでした。
皆様、健康に気をつけられ良いお年をお迎え下さい。

・・・・という訳で写真は先週行った
新宿の西口高層ビル街。

20年くらい前は空き地(荒れ地)だったそうです。
そう言えば昔、この空き地でテントの前衛芝居観た記憶あり・・。
良いんだかなんだかよく判らんかったが・・。(笑)

じゃまたね。
花見行きますぅ?(花粉用マスクしてると盛り上がらんわなぁ・・。苦笑)

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無事代演終了の巻

2008年3月31日(月)

2008年3月30日(日)

怒濤の二日間でした。(笑)。
中野サンプラザと神奈川県民ホール終了いたしました。
なんと今日はあきひろさんのところの社長さんがわざわざご挨拶にみえました。
いやぁとっても恐縮。尊敬する故坂上先生の娘さんでもあるからです。

そんなわけで、まあ、つまるところは、早くあきひろさんが回復してくれればいいなということで頑張って歌いましたよ!
瞳お姉さんもありがとう!お疲れさまでした。

さあ、写真は毎度お馴染み。
横浜と言えば。ハイ。シューマイ弁当でした。

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親切にせにゃいかん・・・しかし・・・の巻き

2008年3月26日(水)

2008年3月25日(火)

昼間、街中(池袋)を歩いていたら、少し年配の女性が
いきなり近づいて来て話しかけてきた。
「わからんでしょ」
「え?」
いきなりそう言われたので、ビックリ。前置きなし。イントロなしサビ頭。
何がわからないと言っているのでしょ・・。
名前?悩み?今後の日本経済?etc
そらぁ判りまへんがな・・・。

よく見ると、映画のチケットを持ってらっしゃったので納得。
映画館の場所が「わかりますか?」と聞いているのだった。
いきなり「あんたにゃわからんでしょ!」と、頭ごなしあきらめ表現では
なかったのでした・・。(そらぁ〜そうだよね)。悪意ないようで・・・。
まったく、さっしが悪くてスマン。

「これなら、あの角を左にまがりスグですよ」
しかし、私が、そう教えましたら、その女性、な〜んとお礼の言葉の一言もなしにスタスタ行ってしまう・・。
こっちが激しく動揺。(教え方まずかったか?いやぁ普通に言ったはずだしぃ・・・)
別にお礼の言葉なんか欲しい訳じゃないが・・・。
「すみませんでした〜」とか
「ありがとうございました〜」とか
「ど〜も〜」とか
普通、人は何か言いつつその場を立ち去るだろ。
どんなに急いでいても何か言いつつ立ち去るだろ〜〜。完璧無言だった。
けっこう生きてきたんでしょ?・・・人生痛いだろぉ。

人によく道を聞かれる私としては(ホントなんだよ)
初めての事だったので、と〜ってもおったまげざんした。

確か持ってた映画のチケットタイトルが「マイ・ブルーベリー・ナイツ」というおしゃれ系(らしい)ラブストーリーだった。(私は観てないけどな)
やってることはおしゃれじゃねえぞ。真逆。

あ〜でもね、これからも、人にはできるだけ親切にはするつもりだよ。
こりたわけじゃないからね。(アハハ)

これは先日行った奈良の鹿君の晴れ姿。
鹿せんべい3つも買うてしも〜た。(笑)
一個150円×3=450円・・・数えるな!セコイぞ坂田!

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「ジャンパー」って、皮ジャンじゃないの?・・・の巻き

2008年3月11日(火)

2008年3月10日(月)

映画「ジャンパー」を観ました。
タイトル聞いた当初は、ジャンパーって、あの、皮ジャンとかのジャンパーのお話しかと思いましたぞ。いや嘘でないって。例えば〜(ロックシンガー目指していた亡き恋人の残していった想い出の皮ジャンパー。ある日それを着ると不思議な力が湧いてきて、平凡だったOL女性が大ロックンロール歌手になっていくまでのサクセスストーリー)とかいいな〜って勝手に想像したんだわ・・・。(あんた創り過ぎじゃ!)
そう言えば昔「ブルージーンと皮ジャンパー」って歌があったニャ。(知らねえだろニャ)
イタリア語だったかなぁ・・・。けっこうあの歌好きだった・・・。
それは関係ニャイとして。

次の仕事の関係で、迷ったんだけど、その時間、映画は日本語吹き替え版だった。
ま、日本語なので、字幕を見なくてすむ分、判りやすかったんだが・・・。
懐かしの吹き替え外国テレビドラマっぽくなってしまい、せっかくの大画面には少々不向きだったかも。(いえいえ、訳や、声優さんは素晴らしいんですよ〜。頑張ってますよ〜。)

時間をワープするSFは大好きなんだけど、実際に体がワープするSF作品って、そうですね、観光地紹介映画になる危険性があるかも。
でもこれは、アクションなども楽しく、日本ロケなんかもしたらしく
知ってる場所がたくさん出て結構盛り上がりました。
渋谷・銀座あたりがいっぱい・・。(お〜、あの場所昨日通ったぜ・・・とか)
でもいつロケしたんだろな・・・見たかったなぁ撮影ロケ。
映りたかったなぁ自分。(はあ?)
ロケ現場にいたら、おさちゃん偶然スクリーンに映ったかなぁ・・・。「みなさ〜〜ん!!
おさちゃんだよ〜〜〜!!」とか、監督に見つかりカットされない程度にコッソリ地味に手を振りたかったなぁ。クレジット出してくんなくてもいいから、映画出たかったなぁ。(笑)

とまあ、話題に困ると映画に逃げる私・・・。
このところは「チーム・バチスタの栄光」「結婚しようよ」「歓喜の歌」「スウィニー・トッド」「エリザベス:ゴールデン・エイジ」「俺達フィギアスケーター」「テラビシアにかける橋」など、いつものように脈絡なしにみております。

でも、この頃は、創る側の人(特に映画製作にお金を出す側)のあからさまな意図・作為がどうしても見えてしまう(売らんかなの下心が読まれてしまう)作品が多いのがちょっと寂しい・・・。(あんたがもっと素直に観れば良いってか?・・・そらまそうだけどね・・・・・でもそうそう客は馬鹿じゃないと思うけどな・・・作品自体のもつ品格ってことかな・・)

ではまた。
花粉?そらきついさ。
ふあああグジョビオン〜〜〜!!ふひゃらあ。(これは息を吸った音だね)

先日、初めて池袋サンシャイン60展望台に行った。(そうなの展望は初めてなの)
展望台からみた北東の景色だね。
(今月ラッキー方位らしいぜ〜。皆様にも幸運のおすそ分け)

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これって凄くない?・・・の巻き

2008年3月5日(水)

2008年3月5日(水)

私、ちょこっと石垣島へ行ってきました。
(この、ちょこっとが凄い表現だろ〜テハハハ)
なぬ?遊びってかよ?・・・って、いやいや、弘道お兄さんのイベントの
サプライズゲストに呼んでいただいたのだった・・・。
いやぁ〜これがまた、良い企画でさぁ〜。いやぁ〜楽しかったぁ。
す〜っかり観光気分さ。
仕事忘れてしもたです。(あ、失礼っ!!ちゃ〜んと歌ったスよ〜〜)

で、この写真では、おさちゃん、さも海の男のように写っておるがぁ違〜う違う!!!
海は、恐いから、背の立つ所までしか行かんのよ。(泳げんしな)
弘道さんが「せ〜っかく石垣に来て魚も見ないなんておさむさ〜ん、もったいな〜い!!」
な〜んて言うしさぁ。(も〜ヒロ君、乗せ上手なんだからぁ)
ま、思い切って、砂浜近くで、スエットスーツと水中メガネ借りて魚をみたのよ。
(確かに魚が綺麗だったぞ〜〜〜。パン食べてたよ)

あと、弘道さんは、空中ブランコやってたぜ。(そうだよぉ、あのサーカスのやつだよぉ〜。海岸近くのホテル特設の高さ10メートルはある空中ブランコさ)
ま、まさしく、空飛ぶ弘道だった・・・。(す、すげえ〜〜。さすが日体大)
「おさむさんも一緒に乗りましょうよ〜。楽しいですよ〜」って弘道に誘われたが、そ、そんなもん、やるわけねえだろ〜〜〜〜っ!!!
・・・って俺が出来るわけねえだろがぁ!!(いわゆる正しい高所恐怖性ざんす)
何考えてんだぁあああ!!!(笑)

・・・ってなわけでとても楽しかったで〜す。
また行きたいなぁ〜。
あ〜、でもさぁ・・・「弘道〜〜っ!!言っとくけど、俺、ぜ〜ってぇ空中ブランコは乗らねえかんな!」
僕らは、児童公園とかの普通のに乗るんだいっ!(順番、待ったらすぐ来るしぃ)

ではまた。

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「パパ」って呼び方は照れる時代だったのさ・・・・・・の巻き

2008年2月29日(金)

2008年2月28日(木)

いきなりだけど、先日、電車の中での、お母さんと男の子のお話し。(聞き耳たてる)
男子「あの問題、勘違いした・・・出来なかった」
母「あんたおっちょこちょいなんだから・・・」
男子「僕ってパパに似たのかな」
というのが聞こえてきた・・。おおお。
男の子はまだちょっと幼い感じだし、中学生ってかんじだったかな・・・。
「パパに似て〜・・・」
まてよ〜この展開・・・。デジャブ?・・・。これ、どっかで聞いたなぁ。(笑)

思い出したのは、昔の自分の高校受験の事。
坂田家一家、旭川から札幌への春の引っ越しが決まっていての高校受験でした。
受験を控えても札幌の高校の情報はあまりなく、今でこそ1時半の
札幌〜旭川間ですが、あの頃は電車(僕らは汽車と言っていたし、実際汽車だしな)で
4時間くらいはかかってた記憶あり。もの凄い距離に感じていた。なんせまだ中学生。
札幌の人口は、旭川の約4倍の大都会。(当時)
家族の引っ越しは決定していて、もし僕が札幌の高校に受からなかったら
どうなるんだろう・・・。私一人、旭川に居残りかぁ????
結構なプレッシャーだった記憶あります。
(慣れ親しんだ中学の友達がいるからそれでもいいかもとも思ったが・・・そうも行かんしね)

試験前日、母と旭川より汽車で出発。
春から住む予定の札幌の借家に一泊して、私、地図を見つつ目指す受験高校へ・・。
札幌の市電に乗ると言うのがこれまた初めての経験でめちゃめちゃ緊張。
握りしめた切符が汗でしっとりふやけました。(当時は切符が固めの紙でできてたっけ)
(まだスイカとかパスモとか、電車のチャージカードはないしな。あたりまえじゃい!!)
そんなこんなでその日なんとか無事に受験が終わって、帰りの市電に乗った時だった、隣の母子の衝撃の会話を聞いたのだった。
男子「あの問題、勘違いした・・・出来なかった」
母「あんたおっちょこちょいなんだから」
男子「俺、パパに似たんだべか」

こ、これが、ものすごくショックだったのです。パパぁ????
『な、なんだってぇ。だ、男子で父さんのことをパパっていう子が本当にいるんかい・・。
うわあ。パパっ言い方はアメリカのテレビドラマで言うんじゃないんかい。
こりゃ〜札幌って、よ〜っぽど大都会なんだわ。アメリカみたい。な、なんか、かなわんかもな』そう思った次第。(当時、私の周りの男子で父親を「パパ」と呼ぶ友達はもちろんいなかった。だって私の父は、パパじゃないからね。(?)ま〜ったくありえねえイメージだしな。笑。)

受験終わりで緊張感が解かれ、新しい世界が怒濤のように押し寄せ、なんでも吸収するスポンジ状態の自分に、その札幌の都会っ子男子の何げない言葉、「パパ」がやけに耳に残ったことだった。

しかし、後日、無事札幌の高校に入学したが、父親を「パパ」と呼ぶなどという友達
はやっぱり周りにはどうもいなかったようだが・・。
(いやぁ実際の家庭では知らんよ〜。見てないからね。別にパパと呼んでもいいけどぉ。笑)
高3の時、男子で「パパがね〜」と言ってるやつがいたなぁ。もちろん、ちょっとした愛を込めつつふざけてだけどね。でもあれ、けっこう好きだったんだ。
なんせあいつのギャップがすごかった。あいつイガグリ頭の柔道部主将だったしな。
そう言えば、昔、テレビドラマで「パパと呼ばないで」ってあったなぁ・・・。
ちゃんと見てなかったけど・・。石立なんとかさん・・。
え?亡くなったの?あらぁ・・・。

私は娘からは「パパ」と呼ばれている。(きゃ〜〜〜!)
「お父さん」というイメージはぜんぜんないそうです。
ほほ〜〜。どうよ。これっていいのか?
ダディよりゃいいか。(笑)
ではまた。

写真語る・・・。
パパだぁ?フン知らんな。ミーは孤独に生きるんじゃい。
野良の誇りがあるんじゃい。ロンリーキャットと人は呼ぶぜ。

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