このごろ日記

自分の投稿文を収めてみました〜・・・・の巻き

2008年4月5日(土)

2008年4月4日(金)

以下の文は出身中学の同級生がやってくれている
ホームページに僕が年末掲載した文です。
(勝手に転載していかんかなぁ・・。ま、自分の文だしぃ。許してちょ〜。)
けっこうまじめな事書いておるなぁ(笑)。
たまにはこんなネタいかがでしょ?!

「良いお年をお迎え下さい 」坂田栄一
– 2007/12/27 09:57 –
年の瀬も迫ってまいりました。

今年は、仲間の何人かと仕事のご縁で会えました。
お世話になりました。
みんなあの頃のままの真摯な姿でした!

もの凄く嬉しかったです。
ありがとうございました。

しあわせな事に僕たちは、ちょっぴり残ってた戦後のまずしさも知っています。
高度経済成長の大きなうねりも経験しました。
そして今のインターネットの世界にも生きてます。
それにしてもこの頃の、この国の行方・迷い方は尋常ではないと思うのです。
僕たちは確かにもうすぐ仕事とかいろんなことに現役リタイアの時期にさしかかっているのかもしれませんね。
でもそれは体の衰えとか、心の衰えをさしているのではないと思うのです。
本当にそろそろちゃんと若い人へ何かを伝えなければいけない
「時期」がきたのだと思うのです。
正しかった事、間違っていた事、僕らは見てきました。
浮かれた事も、沈んだ事も見てきました。
僕らより上の方はそれをもっと沢山経験されたけれど
残念ながらそれを伝える体力・気力が減ってきているのかもしれません。

僕らの世代は、どうでしょう。
毎日の雑事にたしかに追われてはいますが、振り返る時間が確かに去年よりは多いと思いませんか?
想い出が増えたと思いませんか?
自分の物だけにしてはもったいないと思いませんか?

この頃、当時の事をよく思い出すんです。
悩みや苦しみが自分一人だけのものだと思っていたのが、
グラウンドで遊んでいるみんなに等しく感じるものなのだと知った事。

あの頃、学校のグラウンドからは大雪山が鮮やかに見えていましたね・・・・。

長文ですみませんでした。
皆様、健康に気をつけられ良いお年をお迎え下さい。

・・・・という訳で写真は先週行った
新宿の西口高層ビル街。

20年くらい前は空き地(荒れ地)だったそうです。
そう言えば昔、この空き地でテントの前衛芝居観た記憶あり・・。
良いんだかなんだかよく判らんかったが・・。(笑)

じゃまたね。
花見行きますぅ?(花粉用マスクしてると盛り上がらんわなぁ・・。苦笑)

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無事代演終了の巻

2008年3月31日(月)

2008年3月30日(日)

怒濤の二日間でした。(笑)。
中野サンプラザと神奈川県民ホール終了いたしました。
なんと今日はあきひろさんのところの社長さんがわざわざご挨拶にみえました。
いやぁとっても恐縮。尊敬する故坂上先生の娘さんでもあるからです。

そんなわけで、まあ、つまるところは、早くあきひろさんが回復してくれればいいなということで頑張って歌いましたよ!
瞳お姉さんもありがとう!お疲れさまでした。

さあ、写真は毎度お馴染み。
横浜と言えば。ハイ。シューマイ弁当でした。

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親切にせにゃいかん・・・しかし・・・の巻き

2008年3月26日(水)

2008年3月25日(火)

昼間、街中(池袋)を歩いていたら、少し年配の女性が
いきなり近づいて来て話しかけてきた。
「わからんでしょ」
「え?」
いきなりそう言われたので、ビックリ。前置きなし。イントロなしサビ頭。
何がわからないと言っているのでしょ・・。
名前?悩み?今後の日本経済?etc
そらぁ判りまへんがな・・・。

よく見ると、映画のチケットを持ってらっしゃったので納得。
映画館の場所が「わかりますか?」と聞いているのだった。
いきなり「あんたにゃわからんでしょ!」と、頭ごなしあきらめ表現では
なかったのでした・・。(そらぁ〜そうだよね)。悪意ないようで・・・。
まったく、さっしが悪くてスマン。

「これなら、あの角を左にまがりスグですよ」
しかし、私が、そう教えましたら、その女性、な〜んとお礼の言葉の一言もなしにスタスタ行ってしまう・・。
こっちが激しく動揺。(教え方まずかったか?いやぁ普通に言ったはずだしぃ・・・)
別にお礼の言葉なんか欲しい訳じゃないが・・・。
「すみませんでした〜」とか
「ありがとうございました〜」とか
「ど〜も〜」とか
普通、人は何か言いつつその場を立ち去るだろ。
どんなに急いでいても何か言いつつ立ち去るだろ〜〜。完璧無言だった。
けっこう生きてきたんでしょ?・・・人生痛いだろぉ。

人によく道を聞かれる私としては(ホントなんだよ)
初めての事だったので、と〜ってもおったまげざんした。

確か持ってた映画のチケットタイトルが「マイ・ブルーベリー・ナイツ」というおしゃれ系(らしい)ラブストーリーだった。(私は観てないけどな)
やってることはおしゃれじゃねえぞ。真逆。

あ〜でもね、これからも、人にはできるだけ親切にはするつもりだよ。
こりたわけじゃないからね。(アハハ)

これは先日行った奈良の鹿君の晴れ姿。
鹿せんべい3つも買うてしも〜た。(笑)
一個150円×3=450円・・・数えるな!セコイぞ坂田!

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「ジャンパー」って、皮ジャンじゃないの?・・・の巻き

2008年3月11日(火)

2008年3月10日(月)

映画「ジャンパー」を観ました。
タイトル聞いた当初は、ジャンパーって、あの、皮ジャンとかのジャンパーのお話しかと思いましたぞ。いや嘘でないって。例えば〜(ロックシンガー目指していた亡き恋人の残していった想い出の皮ジャンパー。ある日それを着ると不思議な力が湧いてきて、平凡だったOL女性が大ロックンロール歌手になっていくまでのサクセスストーリー)とかいいな〜って勝手に想像したんだわ・・・。(あんた創り過ぎじゃ!)
そう言えば昔「ブルージーンと皮ジャンパー」って歌があったニャ。(知らねえだろニャ)
イタリア語だったかなぁ・・・。けっこうあの歌好きだった・・・。
それは関係ニャイとして。

次の仕事の関係で、迷ったんだけど、その時間、映画は日本語吹き替え版だった。
ま、日本語なので、字幕を見なくてすむ分、判りやすかったんだが・・・。
懐かしの吹き替え外国テレビドラマっぽくなってしまい、せっかくの大画面には少々不向きだったかも。(いえいえ、訳や、声優さんは素晴らしいんですよ〜。頑張ってますよ〜。)

時間をワープするSFは大好きなんだけど、実際に体がワープするSF作品って、そうですね、観光地紹介映画になる危険性があるかも。
でもこれは、アクションなども楽しく、日本ロケなんかもしたらしく
知ってる場所がたくさん出て結構盛り上がりました。
渋谷・銀座あたりがいっぱい・・。(お〜、あの場所昨日通ったぜ・・・とか)
でもいつロケしたんだろな・・・見たかったなぁ撮影ロケ。
映りたかったなぁ自分。(はあ?)
ロケ現場にいたら、おさちゃん偶然スクリーンに映ったかなぁ・・・。「みなさ〜〜ん!!
おさちゃんだよ〜〜〜!!」とか、監督に見つかりカットされない程度にコッソリ地味に手を振りたかったなぁ。クレジット出してくんなくてもいいから、映画出たかったなぁ。(笑)

とまあ、話題に困ると映画に逃げる私・・・。
このところは「チーム・バチスタの栄光」「結婚しようよ」「歓喜の歌」「スウィニー・トッド」「エリザベス:ゴールデン・エイジ」「俺達フィギアスケーター」「テラビシアにかける橋」など、いつものように脈絡なしにみております。

でも、この頃は、創る側の人(特に映画製作にお金を出す側)のあからさまな意図・作為がどうしても見えてしまう(売らんかなの下心が読まれてしまう)作品が多いのがちょっと寂しい・・・。(あんたがもっと素直に観れば良いってか?・・・そらまそうだけどね・・・・・でもそうそう客は馬鹿じゃないと思うけどな・・・作品自体のもつ品格ってことかな・・)

ではまた。
花粉?そらきついさ。
ふあああグジョビオン〜〜〜!!ふひゃらあ。(これは息を吸った音だね)

先日、初めて池袋サンシャイン60展望台に行った。(そうなの展望は初めてなの)
展望台からみた北東の景色だね。
(今月ラッキー方位らしいぜ〜。皆様にも幸運のおすそ分け)

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これって凄くない?・・・の巻き

2008年3月5日(水)

2008年3月5日(水)

私、ちょこっと石垣島へ行ってきました。
(この、ちょこっとが凄い表現だろ〜テハハハ)
なぬ?遊びってかよ?・・・って、いやいや、弘道お兄さんのイベントの
サプライズゲストに呼んでいただいたのだった・・・。
いやぁ〜これがまた、良い企画でさぁ〜。いやぁ〜楽しかったぁ。
す〜っかり観光気分さ。
仕事忘れてしもたです。(あ、失礼っ!!ちゃ〜んと歌ったスよ〜〜)

で、この写真では、おさちゃん、さも海の男のように写っておるがぁ違〜う違う!!!
海は、恐いから、背の立つ所までしか行かんのよ。(泳げんしな)
弘道さんが「せ〜っかく石垣に来て魚も見ないなんておさむさ〜ん、もったいな〜い!!」
な〜んて言うしさぁ。(も〜ヒロ君、乗せ上手なんだからぁ)
ま、思い切って、砂浜近くで、スエットスーツと水中メガネ借りて魚をみたのよ。
(確かに魚が綺麗だったぞ〜〜〜。パン食べてたよ)

あと、弘道さんは、空中ブランコやってたぜ。(そうだよぉ、あのサーカスのやつだよぉ〜。海岸近くのホテル特設の高さ10メートルはある空中ブランコさ)
ま、まさしく、空飛ぶ弘道だった・・・。(す、すげえ〜〜。さすが日体大)
「おさむさんも一緒に乗りましょうよ〜。楽しいですよ〜」って弘道に誘われたが、そ、そんなもん、やるわけねえだろ〜〜〜〜っ!!!
・・・って俺が出来るわけねえだろがぁ!!(いわゆる正しい高所恐怖性ざんす)
何考えてんだぁあああ!!!(笑)

・・・ってなわけでとても楽しかったで〜す。
また行きたいなぁ〜。
あ〜、でもさぁ・・・「弘道〜〜っ!!言っとくけど、俺、ぜ〜ってぇ空中ブランコは乗らねえかんな!」
僕らは、児童公園とかの普通のに乗るんだいっ!(順番、待ったらすぐ来るしぃ)

ではまた。

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「パパ」って呼び方は照れる時代だったのさ・・・・・・の巻き

2008年2月29日(金)

2008年2月28日(木)

いきなりだけど、先日、電車の中での、お母さんと男の子のお話し。(聞き耳たてる)
男子「あの問題、勘違いした・・・出来なかった」
母「あんたおっちょこちょいなんだから・・・」
男子「僕ってパパに似たのかな」
というのが聞こえてきた・・。おおお。
男の子はまだちょっと幼い感じだし、中学生ってかんじだったかな・・・。
「パパに似て〜・・・」
まてよ〜この展開・・・。デジャブ?・・・。これ、どっかで聞いたなぁ。(笑)

思い出したのは、昔の自分の高校受験の事。
坂田家一家、旭川から札幌への春の引っ越しが決まっていての高校受験でした。
受験を控えても札幌の高校の情報はあまりなく、今でこそ1時半の
札幌〜旭川間ですが、あの頃は電車(僕らは汽車と言っていたし、実際汽車だしな)で
4時間くらいはかかってた記憶あり。もの凄い距離に感じていた。なんせまだ中学生。
札幌の人口は、旭川の約4倍の大都会。(当時)
家族の引っ越しは決定していて、もし僕が札幌の高校に受からなかったら
どうなるんだろう・・・。私一人、旭川に居残りかぁ????
結構なプレッシャーだった記憶あります。
(慣れ親しんだ中学の友達がいるからそれでもいいかもとも思ったが・・・そうも行かんしね)

試験前日、母と旭川より汽車で出発。
春から住む予定の札幌の借家に一泊して、私、地図を見つつ目指す受験高校へ・・。
札幌の市電に乗ると言うのがこれまた初めての経験でめちゃめちゃ緊張。
握りしめた切符が汗でしっとりふやけました。(当時は切符が固めの紙でできてたっけ)
(まだスイカとかパスモとか、電車のチャージカードはないしな。あたりまえじゃい!!)
そんなこんなでその日なんとか無事に受験が終わって、帰りの市電に乗った時だった、隣の母子の衝撃の会話を聞いたのだった。
男子「あの問題、勘違いした・・・出来なかった」
母「あんたおっちょこちょいなんだから」
男子「俺、パパに似たんだべか」

こ、これが、ものすごくショックだったのです。パパぁ????
『な、なんだってぇ。だ、男子で父さんのことをパパっていう子が本当にいるんかい・・。
うわあ。パパっ言い方はアメリカのテレビドラマで言うんじゃないんかい。
こりゃ〜札幌って、よ〜っぽど大都会なんだわ。アメリカみたい。な、なんか、かなわんかもな』そう思った次第。(当時、私の周りの男子で父親を「パパ」と呼ぶ友達はもちろんいなかった。だって私の父は、パパじゃないからね。(?)ま〜ったくありえねえイメージだしな。笑。)

受験終わりで緊張感が解かれ、新しい世界が怒濤のように押し寄せ、なんでも吸収するスポンジ状態の自分に、その札幌の都会っ子男子の何げない言葉、「パパ」がやけに耳に残ったことだった。

しかし、後日、無事札幌の高校に入学したが、父親を「パパ」と呼ぶなどという友達
はやっぱり周りにはどうもいなかったようだが・・。
(いやぁ実際の家庭では知らんよ〜。見てないからね。別にパパと呼んでもいいけどぉ。笑)
高3の時、男子で「パパがね〜」と言ってるやつがいたなぁ。もちろん、ちょっとした愛を込めつつふざけてだけどね。でもあれ、けっこう好きだったんだ。
なんせあいつのギャップがすごかった。あいつイガグリ頭の柔道部主将だったしな。
そう言えば、昔、テレビドラマで「パパと呼ばないで」ってあったなぁ・・・。
ちゃんと見てなかったけど・・。石立なんとかさん・・。
え?亡くなったの?あらぁ・・・。

私は娘からは「パパ」と呼ばれている。(きゃ〜〜〜!)
「お父さん」というイメージはぜんぜんないそうです。
ほほ〜〜。どうよ。これっていいのか?
ダディよりゃいいか。(笑)
ではまた。

写真語る・・・。
パパだぁ?フン知らんな。ミーは孤独に生きるんじゃい。
野良の誇りがあるんじゃい。ロンリーキャットと人は呼ぶぜ。

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携帯修理できました〜〜の巻き

2008年2月26日(火)

2008年2月25日(月)

さっそく先日お地蔵様(?)的に写ってたおひな様を撮りました。
今の季節、おひな様はホテルロビーとかに結構飾られてますもんね。

子供の頃、妹のために飾られたおひな様、特に五人囃子の
刀とか、笛がどうなってるのかがどうしても見たくてこっそり見つからないように
解体した。(みんなやったんじゃねえのぉ?)
しかし、結局一人では元に戻せなくなり・・・。親に告白。
そらもうひどく叱られましたがな・・・・。なんとか直ったけどね。

でも、あの小さな笛は、音が出ないということにひどくガッカリしたのを覚えてます。
ピーヒャラ鳴らないんだも〜ん。
そんなもん笛じゃないじゃ〜ん!!

ではまた。
おい!

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携帯修理中だぁ・・・の巻き

2008年2月21日(木)

2008年2月20日(水)

ずいぶん前に携帯を床に落っことし、どういう加減か本体がパカっと開いちゃった。
あわてて閉めたけど、それ以来かな、いつも、暫くすると
数ミリのかんじで、本体に隙間がぁ・・・。
うまく説明できないんだけど、ま、使えないことはない状態が
続いていたんだよ、しばらくは・・。
しか〜し、とうとう、具合も悪く、元電池の寿命も尽きたようで・・。
メール一本打つと赤い電池切れマークが。
(これって、なんかとても恐ろしいかんじの表示だよな)
で、まあ、がんばって携帯ショップのお店に行きましたとさ。

なんと店員さんから「お買いになった日は2年前の今日ですね」と
言われる。
ふ〜〜〜ん。それはめでたいのか?
「修理できます?」
「できますが1〜2週間かかります」
「あらぁそりゃ不便・・・・・困ったニャ・・・」
「修理中は代わりの携帯お貸ししますよ」
「????」

な〜んとアドレスとかの全記録など、貸してくれる携帯の中にダウンロードして入れて
それを貸してくれるんだそうですぜ。あ〜ら便利。
お借りしたのはちょっと型の古いタイプだそうですが
でも、嬉しいじゃありませんか・・ね。
もうめんどくせえからこれでいいんじゃないですかね。
ま、ひとつ難点は写真がうまく撮れないようです。
とあるホテルの入り口に飾ってあった綺麗なおひな様を記念に撮ったら、
あ〜た、地味なお地蔵様の団体のように撮れてしまったよ。(あらこわい)
おもいっきりピンぼけ・無理矢理セピアってかんじだニャ。
(新しい機種がもうどんどん出ています。本当は欲しいんだけど
買ったらまた、最初から覚えなきゃいけないかと思う気持ちが私を止める。
変革を求める若者はやっぱ凄いかもな・・・。あのぉ、・・もし新しいの買ったらやり方教えてね!説明書もう読みたくないんよ)

ではまた。
早く直ってこないかしらん。

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ゆうぞうさんしょうこさんありがとう・・・の巻き

2008年2月15日(金)

2008年2月14日(木)

昨日、ゆうぞうさんしょうこさんの番組収録(通常)の最終日ということで
渋谷NHK103スタジオにお邪魔しました。
(これからまだ他の収録とか、勿論イベントもたくさん残っているようですが)
収録後、ご苦労様とご卒業セレモニーがありました。
彼らに縁のある人が沢山集まり、お疲れさまとこれからの門出を祝いました。
続投し残るよしお兄さん・まゆお姉さんの流す涙は、お二人と、本当にお別れなんだなぁということを伝え、スタジオにいた全員こみ上げるものがありました。

さて、5年間と一言で言うけれど、それはそれは大変だったろうことは
想像に難くないですよね。
代わりの人が決していない仕事というのは、誇りでもありましょうが
それと引き替えに、厳しいプレッシャーを負うものです。
お二人ともそのことをよく理解し真摯に仕事を遂行されたことは
とてつもない賞賛に値することと思います。
その原動力の向こうには、彼らがいつも言うように、子ども達の喜ぶ顔があったからなのだろうと思います・・・。

・・・・・そう、自分の時の事も思い出しました。
綺麗事で言うんじゃないけどね、子ども達や親御さんの喜ぶ顔を間近に見たら
まぁ〜、たいていの事は凌げました。ホントだよ。笑顔の力ってやつだねぇ。
今さらながら、みなさんありがとう!!

さてさて、これからの、ゆうぞうさん、しょうこさんの大活躍に大いに期待しましょう。
そしてみなさんも応援してあげてね。

ところで、新しい兄・姉にはお会いしたことはありませんが
(関係者から)聞くところによると
子供の頃おさむお兄さんを見ていたそうな。
それで歌の兄・姉に憧れたと言う事らしいぜ・・・。
な、な、なんですとぉ?
う〜〜〜ん。どっひゃ〜〜〜。
と、ひっくり返り、頭を痛打するおさちゃんだった。
マジいろいろ痛え。
(で、でもさ、本当なら嬉しい事なんだよなぁ?・・・とか言いつつ、若いって
やっぱ素晴らしいかもな。軽く嫉妬じゃい!テハハ)

ではまた。

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もうすぐ2月がやってくるの巻き

2008年1月27日(日)

2008年1月26日(土)

2月がそろそろやって来る。
(いんゃあ〜早いぜ、時の速さ)
北海道の坂田家(実家)では、母の誕生日、亡き父の誕生日、
二人の結婚記念日、
み〜んな2月でだいたい重なってて、子どもの頃はちゃ〜んと覚えていて、
それなりに
「今日は誕生日、ハイ肩たたき券だよ」とか言って絶対
金のかからない物を一度、親にプレゼントした記憶がある。
(まったくケチくさいというか・・・。まあ子供だしね。でもみんな2月に重なってめんどくさかった)
5分券、10分券とか、20分券とかなってて、それを出すと肩もみなど
絶対しますよという手書きのサービス券だわね。(笑)
そうとうな枚数とにかく発行したから、超インフレよ。(笑)
しかしあの時発行した券を、後日父や母が実際使って私が肩を揉んだという覚えはまったくない・・・。あれって(発行した券)何処にいったんだろう・・・。
一説によると、ずっと父の机には使わず入っていたらしいけど・・・。
あはは。
親孝行するのなら、そんなもんが(券)なくても、肩たたきとか
肩もみとか、進んでせんかい!って言われそうだが、まあ
そこが微妙な案配で、世の中には良いアイデア(昔の子ども雑誌かなんかで読んだ受け売りだと思う)があるもんだなぁと思ってた。

この前、正月に帰郷したとき、まったく気まぐれ、どういう訳かイタズラに母の肩をたたきました。(母があの券を出したわけじゃないですよ〜。笑。)
(まるで、懐かしい童謡唱歌のようかもな。母さんお肩をたたきましょ〜タントンタントン♪状態。まあ、半ばふざけてだけどね・・・)
そしたら子どもの頃も、やっぱり、ふざけててちゃんと親の肩も揉まなかったなぁって事、思い出したんよ。
特に父のは、めんどくせぇが先にたち・・。
もっとちゃんと肩をたたいてあげれば良かったなぁ。
(父さん、あの券を使えばよかったのに・・・)

帰りがけに、母から、「めぐ美(孫)ちゃんに渡してね。来年はお正月来てねって言っておいてね」とお年玉ポチ袋を渡された。
(あの子はもうお年玉という年齢ではないのだが・・。母からすればいつまでも可愛い孫なのでしょう。今回、残念ながら都合で正月北海道行けず)
それがあの当時母が使わなかった、肩たたき券のようにも思えたのでした。

庭から見た札幌雪景色をお正月撮りました。
右の2段の白団子の松がいい味出してるだろ。
でも、もう道民は雪はいらないって言ってるそうですよ。(笑)

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