このごろ日記

八王子三日目だよの巻き

2008年6月28日(土)

2008年6月27日

弘道さんの親子ふれあいコンサートのゲストで八王子だよ。(幼稚園協会さん主催)
たくさんの多摩地区の幼稚園のお友達や、お父さんお母さん、先生が集まって下さいました。
今日で3日目、最終日でした。
この楽屋顔は、朝早くて、気持ち瞳孔開き気味だぁね。ほとんどなにも考えてねえな。(笑)

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またまた総会へ行ってきた・・・ああそうかい(一応おやじギャグね)の巻き

2008年6月24日(火)

2008年6月23日(月)

今回は卒業した札幌北高校の全体総会でした。
(超大型クラス会・同期会みたいなもんかな)
これも年に一度の総会だそうで、僕は初めて出席しました。
約600名の東京在住卒業生が六本木のホテルに集まり大盛況。
知ってはいたけれど、後輩のフジテレビアナウンサー牧原俊幸さん(食わず嫌い選手権の司会でも有名ですね。笑。)が、テーブルにわざわざご挨拶にみえました。

北高校は元々が庁立の女子高等学校で戦前からあったんです。
(戦後しばらくして共学になったそうです)
出席者の中には90才近い卒業生もいらしております。
正面ステージに姿勢の正しいおばあちゃんが記念挨拶で壇上に。
ざわざわしていた会場に「ハイ!全員私語やめ〜〜っ!」
の一声。し〜〜〜〜ん。・・・私語やめ〜〜っ!ですぜ。
みなさん大人ですから何十年も言われてない言葉です。
気分は一気に全員高校生だぜ。(笑)
だってそこにいる600人全員がおばあちゃんの後輩だからね。
最高齢のおばあちゃんの迫力はすごいです!
(ある意味かっこいいです)
ラストは校歌斉唱・・・。
うう、若干忘れていたところあり・・。
(だって何十年も歌ってないんだも〜ん)
汗。汗。
1番・2番・3番の間に休みの小節がなく、いきなり次に行く
という校歌で、なんとか歌いながら、そう言えば、油断してると息継ぎが苦しくなる歌だったなぁという記憶がよみがえりましたわ。酸欠。(笑)。
いや〜、とっても良い歌なのですよ。懐かしかったです。
幼稚園の園歌をいくつか創ったことがありますが、こうやって、何かの機会に
みんなで歌ってもらえるなんて、校歌ってやっぱ良いですよね!

番組に出ていたおかげか、出席の多くのみなさんに「子供や孫がとってもお世話になった。あなたの創る歌で子供が育った」とか言われ、幼稚園・保育園の先生気分を味わった。
(ちょ〜っと複雑だったけどね。がはは。)

そんなわけで、今回は気持的に楽しい3時間でした〜〜。
ではまた。
ハイ!私語やめ〜〜〜っ!(うう、夢にみそう)

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総会に行ってきました・・・・の巻き

2008年6月21日(土)

2008年6月20日(金)

総会って何?とお思いでしょうが、ジャスラックという音楽団体が
ございまして・・・年に一度の正会員総会でした。
ジャスラックって作詞・作曲とかの管理をする団体ですね。
総会の雰囲気は、まあ、平たく言えば、中学とか高校で生徒総会ってあったじゃない?
まあ、あのかんじのシビア版ですね。
いろんな問題を質疑応答して議論するんですね。

もう超有名な作家先生・関係者が目白押しでございます。
日本の音楽界をまさに引っ張る重鎮ずら〜り・・。
お見かけした方だけでも、小林亜星さん、都倉俊一さん、三木たかしさん、永六輔さん、平尾昌章さん、ミッキー吉野さんetc・・・300人以上。
うう。おさちゃん、な、なんだかこわ〜ぃ(笑)。

湯川れい子さんの司会でまずこの一年に亡くなられた方の黙祷・・・。
阿久悠さん、川内康範さん、先日亡くなられ掛川の葬儀に出席した小澤辰幸さん・・・。

会場に知ってる方がいるといいなぁと思ったら、菅野こうめいさんが隣の席に来てくれた。
(NHKアリーナ系のぐ〜チョコの演出でも有名ですね。今度、ゆうぞう君のミュージカルの演出もするんですって。総会の後にお稽古があると言ってらっしゃいました)
いろんな方の発言に耳を傾けると本当にみなさん素晴らしいです。
いろんな考え方(意見のぶつかり合い)があるのですが皆さん本当に日本の音楽界を深く愛していらっしゃる方ばかりでした。
おさちゃんの発言?
そんなもんできるわけね〜だろぉあの皆さん、あの雰囲気の中で。
まぁ、もしできるとしたらそうだなぁ・・・・。
きっぱり真っ直ぐ手を上げ、大きな声で、はきはきと
「ハイ、議長っ!作詞・作曲の坂田修です。(発言前に名前言う決まりあり)ちょっとトイレ行っていいっスか?!」ぐらいかの。(黙って行けよ!)
ま〜、すぐ除名だろな。(笑)

作詞や作曲って基本は個人プレーなのですが
これだけの多くの諸先輩がみなさん悩み苦しんで歌を創っていらっしゃるってことを
知った今は、なんだか、心が軽くなったような、励まされたような
不思議な気持がしました。

そんな素敵なみなさんが命を削るようにして創った歌だからこそ
大衆の心をとらえることができるのでしょう。
とっても勉強になった一日でした。

しか〜し、やっぱり3時間大緊張の総会でトイレタイム10分はきついですぜ!!
会場内クーラー効き過ぎ・超冷え冷え。
エコの歌を創ってる先生もいたのによぉ・・・どういうことぉ〜?!怒!(笑)。

先日行った箱根ロープーウエイにて・・・。
(これ、総会と関係ね〜じゃん!)
ちょ〜っと(かなり?)おバカな父と娘の姿だあああ。
あの〜ぉ、後ろの方は偶然で、知らない人ですう(笑)。

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送別会シーズンだぁ・・・の巻き

2008年6月15日(日)

2008年6月14日(土)

今頃とお思いでしょうが、NHKは今頃なんですね。
昨日、親しかった方が移動と聞き、送別会へ出ました。
僕は、NHKにお世話になったのが長いので、送別会をした方が
何年か後にまた、東京へ戻ってらしたという例もい〜っぱい。
だからもう会えないみたいな悲壮感はま〜ったくなし。
イベントで行けばすぐ会えるみたいな・・・。
単なる楽しい楽しい飲み会だったとも言えるでしょう(笑)。
オモロ〜。
(このギャグは時代の流れとも言えるでしょう。一、二、サン!四、五、ロク!・・)

声優の田中真弓さんや、ニャンちゅうお馴染み津久井さんらも出席され
火鍋料理ってのをいただきました。
薬膳料理とでも言うんですかね、体に良い系ですな。
凄い店内活気あり。流行ってるんだなあ。知らなんだ。

・・・で普通ここでその火鍋料理の写真とかみなさんの集合写真
が出るのがノーマルなブログだろにのぉ・・・。
出ないんだわこれが。
ひと味違う坂田君のこの頃日記ブログ。
(単にめちゃめちゃ写真撮るタイミングが悪いのと、ブログの写真撮りま〜すと言い出すのに気が引けるからだろうなぁ。な〜んかしらけるじゃないかい。その場の世界が一瞬にして変わるし。失礼っぽくね?その場にいる人達より大切にしている人がいますから
写真撮るみたいな・・・って、これは考え過ぎかね。慣れでしょか。あと、ま、自分の性格がアバウトだからだろうね。これがまず、いかん。反省)

で、これは火鍋じゃなくて花畑じゃ。
(ダジャレにもなってねえし。韻もふんでねえし)
これは王子駅近く。王子って東京都内なんよ。
都内で畑ですよ花畑ですよ。趣味らしいけど、畑ですよ。(もうええがな)
・・・いえ、通りすがったもんでね。パチリと。(だから坂田、何故北区通りすがった?)
いえ、たまたま。
(あんた、NHK趣味の園芸のスタッフかよ!)・・・そう言えば『盆栽』とかはもう全世界的な趣味なんだってねぇ。『盆栽』は宇宙を表すらしいですぜ。ふうむ。すげえ。子供の頃、箱庭みたいなものに異常な興味をしめしたおさちゃんだった。

ではまた。おさむでした。

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アヤばあちゃんの想い出・・・・の巻き

2008年6月9日(月)

2008年6月9日(月)

父方の祖母の夢を見ました。
アヤばあちゃんといいます。(可愛い名前でしょ。笑。)
特別な夢ストーリーはなかったけれど、夢でも会えたから嬉しく懐かしかったなぁ。

これはかなり古い話です。
学生時代、僕が夏休み札幌に帰省していた時でした。
東京へ戻る日に、父に千歳空港まで車で送ってもらいました。
たまたま郷里旭川から泊まりがけで遊びに来ていたアヤばあちゃんも空港へ行くことに。
そう言えば、アヤばあちゃんは、まだ本物の飛行機を見たことがないってことが判明。
若くしてだんな様を亡くし(僕のおじいちゃんだね)僕の父をはじめ5人の子ども達を畑仕事で育てたのでした。飛行機見るどころじゃなかったね。
それじゃなおさら、孫を送りがてら、飛行機を見せようと
父も張り切って車を運転。
さて時間があるので空港のレストランに入りました。
アルバイトだと一目でわかる若いウェイトレスさんが、慣れない手つきで
重そうにお料理を運んで来ました。
アヤばあちゃん、何を思ったのか姿勢を正し深々とウェイトレスさんに頭を下げました。
そして「ありがとうございます」と言ったのです。
???
まぁ、軽く頭を下げることはあっても、ああまで、ウェイトレスさんに頭を下げるのは
何故?
「ばあちゃん、あんなにお辞儀せんでもいかったんでないか。変でないかい」
アヤばあちゃんは不思議そうに僕を見て言いました。
「いやぁ、若いのに、重たいお盆持って、ニコニコ運んできて来てくれてえらいから」
・・・・・。
いや、もう充分でした。

あの日の僕の気持は今でも鮮明に覚えてます。
アヤばあちゃんが若いウェイトレスさんに深々と
お辞儀をした瞬間、実は、僕はとっても恥ずかしかったのです。
お料理を運んで来るのはウェイトレスさんの仕事で、当たり前の事だし
たとえ若かろうが、お盆が重かろうが、深々とお辞儀をしてお礼を言うなんてそんな筋合いのものではないのにと、そう思ったからでした。
でも、今なら判ります。
アヤばあちゃんにとっては、感謝の気持ちで、当たり前で、当然だったのです。
そう言えば、アヤばあちゃんの口癖は小声で「ありがたい、ありがたい」でした。

あの頃、多くのお年寄から、何かにつけて「ありがたいありがたい」という言葉を聞いた気がします。僕は、「ありがたいありがたい」をその場を意味も無く肯定する後ろ向きの言葉のように思っていました。

この頃僕はよく思うんです。
僕は、そう言うことをまったく理解しないで、理解しようとしないで、生きてきてしまったのかもしれないって・・。
ちょっと遅いけど、そう言う気持に少しでも近づきたいなぁと思うのです・・・。

皆さん、いつもありがとう。(心から言いたいのです)

さあ、良い歌(皆さんに喜ばれる歌)を作って、(皆さんに喜んでもらえるように)歌おうっと。

エヘヘ。ちょっと坂田、いい子ぶっちゃったかもね・・(笑)。

おさむでした。

写真は多摩川じゃ〜〜。このごろ川に凝ってるぜ〜〜。

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夢の話しでゴメン・・・・の巻き

2008年6月3日(火)

2008年6月2日(月)

人の夢(希望とかの夢じゃなく、いわゆる睡眠の夢ネ)の話しは
だいたい不可解で、そんなに面白いものじゃないんだけど、聞いてくれるかな?
つっこみどころ満載だあ。

電車に乗る僕。発車。おやぁ、ドアが開いたままだね。
加速する電車。こりゃ危険。
知らせなくちゃ。先頭車両までなんとかたどり着き、運転席のドア叩く。
「ドアが開いてる!ドアが開いてる!」
電車止まり、運転手さんに抗議。
「大変!ドア開いてますよ〜〜!」
「あ〜そうですか。注意しま〜す」のんびり発言。
発車。
おい、まだ開いとるぞ!
飛び降りる私。(いや夢だし特別ケガはしてないようですよ)
知らせるため警察みたいなところへ駆け込む。凄い待ち人の数。
順番カードみたいなものを渡される。
並んで下さいと言われる。
しかたなく並ぶ。(おい!並ぶのかよ!ここで)
やっぱり大事故になると決心、場違いな雰囲気の中で真剣に叫ぶ私!
「このことを、歌にして、コンサートで歌う!」(あ〜ズッコケルぜ)
笑い声の中、一人のおかあさんが、「この人の歌を
聞いて事故をへらしましょう」と、紹介してくれる。
その場がコンサート会場に・・・。
誰かのギターを借りていきなり歌い出す私。(おいPAはあるのか?リハはいいのか?そのギター誰のだよ!チューニングしたのかよ!)
ふと、今頃あの電車はどうなってんだろうと思いつつも歌う私。
(曲はバラードっぽい新曲らしいよ。)
なんとみんなの歌声が電車に届き、自然に閉まるドア。(・・・んなわけないだろぉ)

・・・という夢だった。めでたし。
おいおい!!思わずつっこみたくなる「夢」だった。

おさむでした。

川縁に堂々と咲いてた黄色い花達です。
咲きたいから自然に咲くってかんじ。いいよね。

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レコーディングしてましたぁ・・・の巻き

2008年5月29日(木)

2008年5月28日(水)

井上かおりさんとご一緒にレコーディング。
とにかく歌がめちゃめちゃにうまいのです!
どひゃ〜〜〜!

しかし、私、コーラスアレンジ張り切り過ぎて一人多重の世界のためスタジオ録音時間を大幅にオーバーしてしまい、めちゃめちゃにお待たせしてしまったの・・・。
それでも嫌な顔ひとつ見せず、と〜っても感じの良い方でした。
恐縮!!
携帯で撮っていらした記念写真をわけていただきました。

あと、凄い挑戦があったのじゃ〜。
「炎神戦隊ゴーオンジャー」という歌を歌いました。知ってる?
ほら日曜日の朝やってるテレビ朝日系の戦隊シリーズですね。
坂田おさむと戦隊物とはまったく無縁とお思いでしょう?(笑)
結構良いんですよ〜。(自分で言うかぁ?)
オリジナルとはちょ〜っと違う、坂田おさむの新世界。
一人コーラス多重の世界を是非聞いてみて下さいませ。

このCDアルバムは、ビクターから、6月27日発売です。
「わくわくキッズソングベスト MIVEー548」 

あ〜「夢の中のダンス」も歌ってるよ〜。(笑)

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たまには楽屋顔の巻き

2008年5月26日(月)

上越の会場。楽屋顔。
大丈夫かねこの人(笑)。
そろそろ本番だよ。

と、こんな顔した反省顔。いや、どっちにしてもちゃんと本番頑張ってやりまーす。

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かぶら川の巻き

2008年5月25日(日)

珍しく朝のさんぽ。
ホールの名前にもなっていますかぶら川です。
とても皆さんに愛されてる川なのね。
さあ、そろそろ本番。

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バナナは黄色ってあたりまえじゃなかった頃・・・・の巻き

2008年5月24日(土)

2008年5月23日(金)

スプーも大好き黄色いバナナ。
バナナの絵を描くとそりゃみなさん黄色をつかいますよね。

僕の子供の頃は(昭和30年代)バナナは黄色じゃなく、黒とか茶に近かった。
しばらくは、バナナは黒(黄色と黒のブチってかんじ)だと思っていた。
そんな絵を描いた記憶もあるよ。

最初は黄色だったけど、南の島から届けられるまでに色が変わるんだって言われ、納得。
(遠い外国から苦労してやって来たってことが、また子供心に盛り上がったんだよね)
特別なイベントの時にだけ登場した超高級品バナナ。なんせ高かったからね。
風邪をひいて学校を休んで寝てた時、父が仕事帰りにバナナを買ってきてくれた記憶は
鮮明。(風邪ひいて良かった〜と思ったもん)やっぱり、黄色じゃなかったと思う。

いつから、特別じゃない普通の食べ物になったのかしらん・・・。
黒っぽいバナナを見ると子供の頃を思い出すな。

あ〜この黒いバナナ。
今日食べないとさすがにもう限界かもね。
食べてからぐ〜チョコイベントへ行こう。
スプーも待ってるしな。(笑)

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