この頃日記復活篇6月29日(月)

この頃日記復活篇6月29日(月)

断捨離

断捨離完了。日記とは関係ないんだけど。自粛日々の写真だね。

これらギター捨てたわけじゃなく、部屋の中で断捨離中、寄せてあるだけね。紛らわしい事すんじゃないって!!

 

前回のこの頃日記はなんと昨年の秋2019年9月4日だったね。

あれから10か月かぁ・・・。(汗)それ以来って~・・。

いったい今のこの世界の状況(新型コロナ)を誰が予想したでありましょう。(いえだれも!)と、ま、そんな中、とある知り合いから、この頃日記をちゃんと続けてねと言われ、ハッと気が付き、まさにこう言う時だからこそ、日常を取り返そうと!!!決~~めたっと。

では、昨年9月以来のこの頃日記(昔話篇だけど)「すたあと」←ちょっと今、自分が関係してるEーテレ番組宣伝盛り込みました。番組も見てネ!・・・・では、すたあと。

 

1974年(昭和49年)あたりの坂田君(学校卒業したはいいけど~~時代)なんと今から46年前ですぞぃ・・・。(半世紀ちかし)歌のお兄さんの影も形もない頃の事・・・。

ロックバンド宿屋の飯盛(やどやのめしもり)を脱退(まさしく我がまま脱退だったね)したのはいいけれど、さて、自作の歌をどうやって売り込んだらいいのやら。

脱退したばかりのバンドの担当レコードディレクターに持ってくわけにもいかず、しゃあない、無い知恵を絞り、独立独歩。自分で電話することに。各レコード会社に営業活動の毎日さ。え~ぎょう??

あの頃、日本には16社くらいレコード会社ってあったんだよ。

「もしも~し、歌を聴いてほしいのですが?」

「はあ?」

「あの~ですから、歌を作ったので聴いてほしいのですが?そんでもって是非レコードをだしたく」

ガチャ!ツー・ツー・ツー。

(これ電話が切られた音ね。昔の電話はこんな音だぜぃ)

 

これを毎日繰り返すのですが、正しく埒が明かないとはこのこと・・・。

何か紹介がないとなかなかディレクターさんには会えないのよね。(涙)ディレクターさんて当時は偉かったんだよ。今もぉ?(笑)

何軒目かにポリドールレコードさん(今そんな名前の会社ないよね?)がなんとなくOKを・・・。

そ、な~んとなくだったね。(笑)まったくの偶然から。

キティっていう事務所さんのお知り合いが手助けしてくれたんだ。

(キティって井上陽水さんやら、当時忌野清志郎さんのRCサクセションとかがいた事務所だね)

何回かキティ事務所に通ってる間に、スタジオでデモ音源を作りましょうってなことになりました。

おお、やった~~~!!ホ~ントにあの時は嬉しかったなぁ。

デモ録りなので、スタジオで自分で演奏せよと。(そらそうだわな)打ち込みなんてない時代だよ。僕のギター一発弾き語りだけではイメージが伝わらないだろうとベースやピアノを入れなさいとディレクターさんからアドバイスを受けて・・。

スタジオに現れたのは来生(きすぎ)たかおさん(キティ)でした。はあ?

あの来生たかおさん?(シンガーソングライター、セカンドラブ中森明菜さんとか、セーラー服と機関銃とか~、ヒット曲いっぱいだね)そうデビュー前の来生たかおさんだった。

物凄く寡黙でシャイな人だったけど、お互いビートルズが好きと言うベースがあってスタジオでは楽しくデモ音源をつくりました。

東京は目黒大橋にあったポリドールレコードのでっかいスタジオでした。

嬉しかったなぁ~~。

まぁ、結局そこでは自分のソロデビューとまでは行かず、1曲シングルレコード盤に採用にされました。

アイドルの女の子のデビュー曲でした。

A面が来生さんの作品、B面が僕(坂田えいいち名の作詞)でした。

で、ちょっとしたこぼれ話・・・。

そのアイドル(?)女性は、後日、甲斐バンドの甲斐さんの奥さんになられました・・・。

 

作家として歌(この作品は作詞でしたが)を世に出せたことは嬉しかったけれど、やっぱり自分で作り自分で歌いたい僕でした・・・。

卒業はしたけど就職が決まってなく、同じ仲間と思っていた大学の友達は、真剣に就職活動に専念しだし、とうとう内定がどうしたこうしたとか言い出した。(汗)あせる坂田。

ないてい(内定)って何?

泣いていい???←おやじギャグすっね。

あ~あ。もう、知~らないっと。

さて、どうしたら良いのでしょ・・・坂田君の将来は????

続くぞ~~~~~。

 

次回も不定期ですが、なるべく早く書きますね~。

2020年半年終わるんだね・・・。すごい2020年だね。

今年の後半はどんな世界に??????

良くなっていくことを祈って・・・。

 

 

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