9月4日(水)

 

坂田おさむの過去振り返り話第4弾・・。

「卒業どうすんだぁ。就職どうすんだぁ」の巻

 

ロックバンド「宿屋の飯盛」には約1年半お世話になったかなぁ。

一応はコロムビアからシングルレコード2枚とLPレコード1枚出したんだよ。

しかしみなさんそもそもレコードってわかります?(笑)

レコード盤に針を乗せるとあら不思議。音が出るのですよ。(笑)

さて、バンドをやってるうちにとうとう卒業就職活動シーズンがやってまいりました。

これは重大な人生のターニングポイントです。IMG_1309(1)

北海道の父も母も、当然学生時代の楽しい思い出にするものと思っていた事でしょう。

普通に就職し、安泰(これもわかんないけどね)な人生を歩むであろうよと思っていたと思うな。

そんな頃バンドで北海道コンサートツアー約1月(ハイエースというレンタル車にアンプやらドラムやら機材を載せバンド全員乗り込んであの町この町大移動)をしたときも、宿泊代がなく、実家にバンドメンバー全員宿泊したりした時もそんな貧乏丸出しのバンドを見て、こんなのがプロで通用するわけないときっと思っていたことでしょう。(笑)

宿泊代がないのにツアー?そうです。ないです。キッパリ。泊まる金がないです。これって本当。

今では考えられないけれど、当時イベンターという組織だったものがあのころはまだちゃんとできていなかった時代でした。(特に北海道はね)

田舎の音楽好きの若者が会館を借りて、宣伝・切符を手売りするという、これまた超乱暴な考え方でした。宿泊先はその若者の実家とか、お寺・教会・公民館なのですわん。いわゆる雑魚寝。(笑)

考えてみりゃ車の中で寝た野宿的なこともあったし・・・。

ほとんど知名度も人気もないバンドがコンサートツアーをやるのは超無謀。こういう方法しかなかったとは思うけどね。

でもね、それだけ、音楽が本当に好きで是非コンサートをやってみたいと思う若者の純粋な気持ちは凄かった。今考えりゃかえって清々しいかもね。

そんな地方の音楽好き若者達が、今でいうコンサートのイベンターに育っていったんだと思います。

いつか、そのころのお話を小説にして出したいなぁと思っています。

 

さて、そんなわけで、ロックバンドの一員はいいんだけど(宿屋の飯盛はリーダーYさんの曲を歌うバンドでした)そろそろ自分の作品を世に出したいと思うようになってきた僕。ソロデビューしたいと真剣に考えるようになっていきます。

でもさ、就職どうするの?食べていけるの?はぁ?

知~らないよ~。あ~ら怖いこと。

さて、次回は・・・・。

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