ワンステップ8月8日(木)

 

坂田おさむの過去振り返り話第3弾・・。

「やっぱ売れないと厳しい~っ!!」の巻

 

1973年。大学3年。二十歳。初夏だった。セミプロ的ロックバンド「宿屋の飯盛」に入れてもらいました。(それにしても、物凄いネーミング。リーダーYさんが付けたらしいよ)

このバンドもコンテストで知り合ったんだ。

だってやっぱり、エレキギターを弾きたかったんだよ。

あの頃下宿で一人フォークギターを弾いてると、なんだか悲しくなったもんさ。(笑)

世の中的に四畳半フォークって流行りつつあった頃。「神田川」「赤ちょうちん」って歌知ってる?良い歌だけどメロディも歌詞もと~っても悲しかったんだよね。(笑)

僕は雇われ的なバンドメンバーだったけど、思っきりロックバンドでアンプを通してエレキを弾けるのは嬉しかったなぁ。エレキギター二人、ベース、ドラム(女性)、ピアノの5人編成。セミプロ的なバンドでした。そのうち、パーカッション・ボーカルという事でこれまた女性のIさんが参加。6人編成の大所帯に。そうね特徴は女性ドラムかな。

いつも問題になったのは、若干ドラムのリズムが走るのが難点ということで練習後のミーティングでは、激しくすったもんだしていました。そう学生の軽音クラブのノリと思っていただいて良いです。バンドをやったことがある人はわかるかもしれませんが、リズムが走るということはかなり致命的。それでも、当時、女性がドラムと言うのは珍しく、プロでデビューするにあたっては、なかなか良いのでは?ということでした。そのドラムの女性はとっても人間的に良い人でしたが・・・。(人間性とテクニックは関係ないけどね。)

なんせ、まだ、レコードデビュー前のセミプロ状態。メンバー全員みんな好き勝手に自分の音楽を主張したがるお年頃。毎回、練習中は結構な口喧嘩「下手くそ!」「なんだとぉ!」の超修羅場。(笑)それでも、時々、思うようなサウンドが出来た時はやっぱり嬉しかったもんです。とにかくお金がなくスタジオなんて借りられない(そもそもあの頃レンタルリハーサルスタジオってまだなかったのでは?)から、練習場所はリーダーYさんのご自宅の居間でした。大田区の御岳山。ここって超住宅街。

ご近所からはうるさがられてたと思いますよ。それでも、なんと次の年、日本最初の野外ロックコンサート、日本の「ウッドストック」って言われたワンステップフェスティバル(3DAYS)っていう大きな野外コンサートに出たんだよ。今の、フジロックフェス系の前身かな。

内田裕也さん、かまやつひろしさん、沢田研二さん、上田正樹さん、、オノヨーコさん、ミカバンドとか・・・そうそうたるロック系バンドが出てました。ただ、僕らはやっとデビューしたばかりの新米バンドだったから、リハーサル時間をほとんどもらえず、物凄く不利な音響状態でした。え?これで歌うの?演奏するの?野外なのに返しのスピーカーに自分の音がないけど?・・・・。

今でも覚えてるもん。そうとう悔しかったんだね。あ~ら可哀そね。(笑)たっぷりリハーサル時間をもらえる有名バンド。それに引き換え、舞台に上がってほとんどいきなりそのまま即演奏スタートしてねと言われる僕ら。うそでしょ!!この差別待遇。(ま、お弁当は同じだったけどさ)

この世界、「人気」や「力」をもたなくちゃだめなんだってことも嫌と言うほど味わったんだ。そう、とっても勉強になったよ。

さ~て次は、坂田君、このバンドを脱退していくお話を・・・・。

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